皆さん、こんにちは!!
ヤングば~ばです。
この記事は2023年9.16の記事をリライトしたものです。
私が生まれたのは、こんな感じの田舎でした。
私は北海道札幌市南区で生まれ18歳位まで暮らし
ました。
小学校は家から歩いて30分くらい。中学はバスで隣町まで通いました。
小学校は私は近い方で、一時間以上かけて通って来る子もたくさんいました。
一学年20人もいなかったような気がします。
国道230号線沿い定山渓温泉へ行く途中なのでバスは結構通っていました。
それと定山渓の奥にあった豊羽鉱山という所と、現在の豊平区をつなぐ鉄道が走っていました。
定山渓鉄道(通称 じょうてつ)と言われていました。
鉱石を運ぶ為に出来たらしいのですが、人間も
運んでいました。
その鉄道は私が中学生になる頃廃線になりました。
銀、イソジウム、銅、亜鉛、鉛 などを産出していた。インジウムの
産出量は1999年(平成11年)度は89トンで世界の30%を占めており、
世界第1位であった。 ウィキペディア(Wikipedia)参照
昔は何も知らずに暮らしていましたが、
豊羽鉱山がそんな凄い鉱山だったのを今回調べてみて、
初めて知りました。
(Wikipeia)さん有難う。
高校の同級生に豊羽鉱山から来ている子がいたの
ですが、私の乗るバス停まで30分以上かかったよ
うです。高校は札幌市内の南区の端まで通ったの
ですが、その頃は電車はもう廃線になっていて、
バスで1時間位でした。(私の乗ったバス停から)
南区の一番奥が豊羽鉱山でしたので、そこからは
1時間半以上かかったのですね。
子供の頃は、年に一度位父母が連れて行ってくれた
札幌市内のデパートの食堂に大感激しました。
高校を卒業の頃父が1年位闘病後に亡くなり我が家は
中央区に引っ越しました。
父が自分が死んでも家族が困らないようにと、
自分の弟に頼んで、自宅とアパートを建てて
くれていました。
大人になって、自分で車を運転するようになってから、
自分が生まれた家の奥の方へ初めて行って見ました。
同級生が歩いて小学校に来ていた辺りです。
けっこう山奥まで家があることに驚いたものです。
その頃の道は、まだ舗装ではなく砂利道でした。
その後なんだろうなあ、日本の田舎まで道が舗装され
たのは・・・・・。
今は日本中どこへ行っても道路が舗装されていること
に驚きます。
”ポツンと一軒家”なんてテレビの番組を好きで見ている
のですが、舗装道路を走って行くようならポツンではない
なあと思っていつも見ています。
現在私の生まれた家、畑・田んぼのあった跡は、戸建て
の団地になっています。
今住んでいるのも、田んぼの中。やはり田舎が
好きなようです。