誰かに話したい74歳初めての驚き💋

74歳,ヤングば~ばのひとりごとにお付き合いください!!

ド田舎で育った私!!

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皆さん、こんにちは!!

ヤングば~ばです。

 

この記事は2023年9.16の記事をリライトしたものです。

私が生まれたのは、こんな感じの田舎でした。

 

私は北海道札幌市南区で生まれ18歳位まで暮らし

ました。

 

小学校は家から歩いて30分くらい。中学はバスで隣町まで通いました。

 

小学校は私は近い方で、一時間以上かけて通って来る子もたくさんいました。

 

一学年20人もいなかったような気がします。

 

国道230号線沿い定山渓温泉へ行く途中なのでバスは結構通っていました。

 

それと定山渓の奥にあった豊羽鉱山という所と、現在の豊平区をつなぐ鉄道が走っていました。

 

定山渓鉄道(通称 じょうてつ)と言われていました。

 

鉱石を運ぶ為に出来たらしいのですが、人間も

運んでいました。

 

その鉄道は私が中学生になる頃廃線になりました。

 

豊羽鉱山
豊羽鉱山(とよはこうざん)は北海道札幌市南区定山渓あった金属鉱山。
銀、イソジウム、銅、亜鉛、鉛 などを産出していた。インジウムの
産出量は1999年(平成11年)度は89トンで世界の30%を占めており、
世界第1位であった。      ウィキペディア(Wikipedia)参照

 

昔は何も知らずに暮らしていましたが、

豊羽鉱山がそんな凄い鉱山だったのを今回調べてみて、

初めて知りました。

(Wikipeia)さん有難う。

 

高校の同級生に豊羽鉱山から来ている子がいたの

ですが、私の乗るバス停まで30分以上かかったよ

うです。高校は札幌市内の南区の端まで通ったの

ですが、その頃は電車はもう廃線になっていて、

バスで1時間位でした。(私の乗ったバス停から)

 

南区の一番奥が豊羽鉱山でしたので、そこからは

1時間半以上かかったのですね。

 

子供の頃は、年に一度位父母が連れて行ってくれた

札幌市内のデパートの食堂に大感激しました。

 

高校を卒業の頃父が1年位闘病後に亡くなり我が家は

中央区に引っ越しました。

 

父が自分が死んでも家族が困らないようにと、

自分の弟に頼んで、自宅とアパートを建てて

くれていました。

 

大人になって、自分で車を運転するようになってから、

 

自分が生まれた家の奥の方へ初めて行って見ました。

 

同級生が歩いて小学校に来ていた辺りです。

 

けっこう山奥まで家があることに驚いたものです。

その頃の道は、まだ舗装ではなく砂利道でした。

 

その後なんだろうなあ、日本の田舎まで道が舗装され

たのは・・・・・。

 

今は日本中どこへ行っても道路が舗装されていること

に驚きます。

 

”ポツンと一軒家”なんてテレビの番組を好きで見ている

のですが、舗装道路を走って行くようならポツンではない

なあと思っていつも見ています。

 

現在私の生まれた家、畑・田んぼのあった跡は、戸建て

の団地になっています。

 

今住んでいるのも、田んぼの中。やはり田舎が

好きなようです。

 



最後までお読みいただきありがとうございました。